気の研究的週末テニス

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昨日の続き。

KAIが、サッカーにまるで詳しくもなんともないのに、なぜこれほどまでにオカちゃんのことをボロクソに言えるのか。別にオカちゃんが嫌いでもなんでもない、これこそ予知能力の賜物です。

半世紀人間やって会得した能力がこの予知能力です。ありとあらゆる勝ち負けにおいて、勝機はこの予知能力を基準に判断すればまず間違いありません。サッカーなんかまるでやらなくても、今からおきることが手に取るようにわかってくる。

つまりKAIの得意とするテニスと、このサッカーは外見的に似て非なるスポーツに見えますが、予知能力的にはきわめて類似のスポーツです。

テニスとサッカーで一番共通するのは、ボールを保持することができないスポーツであることです。テニスはラケット、サッカーは足、どちらもボールを打つ、蹴る動作の前も後も、ボールを主体的にコントロールすることはできません。来るボールにはこちらがボールに合せるしかなく、打つ蹴るボールもこちらの思う通りにはならないと言うことです。

こう言う条件の中での勝敗の行方は、ハスラーやゴルフといった対戦相手との心理戦を含んだポテンシャルレベルの力の差が勝敗の決定的要因となるゲームと違って、常に運動を続けるボールを中心にしたフォーメイションにいかに的確に、リアルタイムに適応できるか、この1点にかかっているといっても過言ではありません。

つまり、静的なフォーメイションだけではまったくもって無力であり、動的フォーメイションの中にしか勝機はうまれないと言うことです。

この言い回しがわかりにくければ、渋滞で止まっている車列では絶対に追い越しは不可能ですが、少しでも動いていればいくらでも追い越しをかけることができることを考えると、この話は簡単に理解できると思います。

もちろんこのことをオカちゃんが理解できていないわけではありませんが、オカちゃんの考える動的フォーメーションはカウンターアタックと言う特殊な状況でしかないことが、大きな問題であるわけです。もちろん得点は相手陣内でしか有り得ませんが、ボールの移動距離関係なく、動的フォーメイションは常に連続しているのです。つまりチャンスは相手陣内ではなく自陣内ですでに始まっており、これがゾーンと言う静的フォーメイションではいかんともしがたいのです。

ゾーンでもし主導権をとっても、その静的フォーメイションを動的フォーメイションにスイッチすることは容易ではありません。もちろんオカちゃんにとってこれと同じくらい、動的フォーメイションのままのディフェンスはあまりにも不安であることも、理解できます。

しかし得点をあげない限り、引き分けはあっても勝つことは不可能であることを忘れてはいけません。

攻撃のためにリスクをとることを恐れる限り、勝つことができるのは、同じ戦略をとるチーム相手だけであることに、なぜ彼が気づいてくれないのか不可思議としか言いようがありません。

そして恐れを知らない、我が週末テニス。

結果は、土曜が3-6、6-4、4-4の1勝1敗1分、日曜、6-0、3-6、3-6、6-2の2勝2敗と、両日とも五分五分の結果と言うのは、まことに示唆深いことであります。

ようするに中庸こそ、勝敗を支配する根本原理であります。 KAI