やっと早朝の散歩を再開できそうな、そんな状況が見えてきた。
1月中旬のある日突然、リキが亡くなってからも欠かしたことのない毎朝の散歩が、なぜか億劫になってできなくなってしまった。億劫になった理由はわかっているけれど、しかしだからといって7年続けてきた散歩をやめる理由にはまるでならない。
かえって散歩中の思索が足りないせいで、事態を悪化させているのかもしれないのに、その散歩がなぜできなくなってしまったのか。
その理由を、今朝になってやっと理解した。
人は、ある時、突然に次元を異にする世界に放り込まれることがあります。田舎から出てきて都会の雑踏のど真ん中に放り込まれるようなものです。そんな状況にあって、いかなる行動をすべきか、これが2ヶ月間わからなかった。それがやっとペースを取り戻す方法がわかった。
それは、いつもの周り中の人々との対話しか、ありません。
散歩とは、自分との対話以外、何者でもありません。これは日常の他者との対話があってこその、自己との対話です。他者不在のままの散歩がいかに苦痛か、よくわかったってことです。
道は開ける。そう信じてひたすら日常を取り戻すことが、大きな解決の予感がします。 KAI
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