松下幸之助の言葉(26)

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東京オリンピックの年、1964年(昭和39年)、KAIも目の前を走る聖火ランナーに日の丸を振ったことを、はっきりとこの眼に覚えています。このころ幸之助が、会社経営の絶頂期にあったことを、今回のこの連載で初めて認識できました。KAIはまだ小学生だったのです。

 「鳴かぬならそれもまたよしホトトギス」」
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第24回、北康利、2008/2/19、p.14)

幸之助の、あるがままを受け入れると言う考え方、すなわち「素直な心」の重要性を、このホトトギスの話は、見事に説明しています。

これらの考え方を幸之助は、次世代の経営者に継承していくのでした。オリンピックの翌年のことです。

 京都での講演で、このダム経営論を披露したところ、ある社長が手を挙げて質問した。
(中略)
 もっともな質問である。
(中略)幸之助は涼しい顔でこう答えた。「余裕を持とうと、何よりもそう思わなければいけませんわな」。それを聞いた聴衆の顔に明らかな失望の色が広がった。
 ただ、会場の中でおそらくただ一人、鳥肌の立つような感動に包まれていた男がいた。その六年前に、京都セラミックという会社を創業していた稲盛和夫である。

経営とは、何よりこの「思い」にあります。「思い」がなければ何事も始まらない。「思い」があるからどんな試練にも立ち向かえる。この「思い」を社員と共有できるから初めて一つになってことを成し遂げることができる。「思い」とはそう言うものなのです。

そしていよいよダイエー中内功との戦いが、始まります。 KAI