世界恐慌の前年(1928年)すでに300人の所帯になっていた松下電器は、3年後の1931年にはナショナル・ランプの成功のおかげで880余名へと膨れ上がっていきます。この社員を幸之助は巧みに掌握していきます。
幸之助がいかに人心収攬術に長けていたかは、まさにこの「嫉妬」の取り扱い方に表れている。
『福沢心訓』を例に挙げるまでもなく、嫉妬とは人間の一番醜い感情である。ところが幸之助は、嫉妬心というものを人間の本能だと割り切り、「狐色にほどよく妬く」ことこそ大切なのだと説いた。「狐色に妬くと、かえって人間の情は高まり、人間生活は非常に和らいでくる」というのだ(昭和二十八年「PHPのことば」)。
「狐色に妬く」とは、何ともすごい言葉である。谷沢永一は『松下幸之助の智恵』の中でこの言葉を紹介しながら、<最大級の名言>だと賛辞を贈っている。嫉妬心はうまく使えば向上心のもとになるという、人生の達人の「智恵」がそこにある。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第13回、北康利、2007/11/27、p.26)
しかし一千人規模の会社を統率するには、この「智恵」だけではあまりにも不十分です。幸之助にとって、なにかしらの「社会的使命」を必要とする時期に至っていたのでした。
そして1932年初頭、運命の出来事が起こります。 KAI
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