病床の幸之助の口から一人も解雇しないとの言葉を聞いた井植は、すぐ工場に戻り、心配して井植の周りに駆け寄ってきた工員たちにこれを伝えた。
社内に垂れこめていた暗雲は吹き飛び、戦々恐々としていた従業員たちは恩返しのつもりで必死になって働いた。力が、思いがひとつになり、それからわずか三カ月ほどで倉庫一杯あった在庫品があとかたもなく売れてしまったのである。やがて半日操業をやめてフル生産に戻り、ランプの売り上げが伸びてくれたおかげで業績は急回復していった。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第12回、北康利、2007/11/20、p.17)
決して幸之助は温情で解雇をしないと決心したわけではありません。考えに考えて、解雇の結果には利がないことを見極めていたのでした。しかし、これは以前松下幸之助の言葉(11)に書いたとおりです。
人の心と言うものは、それを計算した瞬間、それを超えるものなのです。幸之助が身体で覚えた人の心を掴む方法も、このこざかしい計算に基づくものである限り山本のようにこれを平気でクリアする人間が現れる。
平気で人の恩を仇でかえす人間がいることを知ることです。
そしてそれを乗り越えるには、やっぱり人の心を掴むしかありません。しかしこれは計算によってではなく、計算ではない、計算を超える“何か”しかありません。
計算を超えるこの思いが、従業員の幸之助に対する忠誠心と言う灯火に火を点けたと、北康利は書きます。
企業が一つの思いに収斂していく、その現場に立ち会える。まことに幸せなることであります。 KAI
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