1927年(昭和2年)長男幸一を失うと言う大きな失意の中で、幸之助は新製品を考案し売り出します。これが角型ランプで、幸一の無念が天に届くかのように年内売れに売れて47万個を出荷します。幸之助はこれをひらめきで「国民の」を意味する「ナショナル・ランプ」と命名し、この「ナショナル・ランプ」は太平洋戦争前までの20年間、松下の屋台骨を支える商品となります。
まもなくして電気アイロンの新製品を発売し、幸之助はこれを市場価格より3割も安く売る作戦に出て、これが見事に当たって売れに売れます。
品質も高く評価され、昭和五年(一九三〇年)には商工省から国産優良品の指定を受けた。「市場を見ながら製造を考える」−−これこそが、幸之助言うところの「製販一致」であった。
彼の凄みは、「失敗しながら成功を模索していくというやり方は間違っている」とし、やるからには失敗なしに最初から成功することを自分にも部下にも課したことである。結果として失敗することもあるだろう。しかし最初から「失敗してもいいや」という甘えを抱くことを、彼は厳しく戒めた。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第11回、北康利、2007/11/13、p.26)
このあたりの感覚は、マイクロソフトの製品開発にも一脈通ずるものがあります。
しかしつくづく思うのが、「商品」です。幸之助はランプ、アイロンに続いて、電気コタツ、ストーブ、コンロと家電の初期の製品を手堅くものにしていきます。
この「商品」を開発して販売する経験なくしては、今の松下電器はありません。
受託開発などと言う人月商売をいつまでも続ける今のIT業界は、ほんとうに幸之助の爪の垢でも煎じてのむべきです。 KAI
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