異論暴論

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あまりに議論のレベルが低すぎて涙が出てくる。

どんな企業であれ、もしSaaSをスタートさせるために巨額な投資を先行させるべきだと判断したのなら、その時点で疑問を感じるべきだろう。SaaSにかかわる何人かの取材先に聞いた言葉だが「SaaSはソフトのデリバリー(配信)手段であってそれ自体が市場なのではない」。既存のソフトをSaaSやASPのやり方に変えたからといって、新たな市場が生まれるわけではないのだ。
SaaSの暗黒面を感じる時

記者の「つぶやき」に反応するのもなんですが、「既存のソフトをSaaSやASPのやり方に変えたからといって、新たな市場が生まれるわけではないのだ」なんて本気で思っているのでしょうか。

例えばDVDの市場を考えてみてください。この市場と、それをダウンロード販売する市場、更にオンデマンドで視聴できる市場、それぞれ全く異なる市場でありビジネスモデルです。これらが同じコンテンツであるからと言って同じビジネスモデルだなんていった瞬間、Gyaoと同じ轍をふむことになります。

同様に「SaaSはソフトのデリバリー(配信)手段であってそれ自体が市場なのではない」なんてアホなことを言っているから真っ赤っかな決算書にしかならないのです。

ソフトウェアを人月見積でしか開発できない人たちから見れば、まあこれは致し方ないことかもしれません。人月単価という労働提供ビジネスモデルの中に住む住民から見れば、以下のエントリーにあるような機能単価モデルの世界はまるで異次元世界であって、そもそも視界にとらえられない、つまり理解できない世界であるわけです。

モデル指向はなぜ必要か(2)
モデル指向はなぜ必要か(4)

その人月単価について、この議論も申し訳ないけれど蒙昧と呼ぶしかありません。

結局のところ、人月見積をやめるというのは、今までは人任せだった仕事の「入口」と「出口」を自ら行い、売り込みから回収まで自分でやることを意味する。「プログラミング」という「中身」は当然目減りするのである。

人月を捨て、自らかれこれ悩みながら見積書と請求書を書くのがいいのか(これはたとえ営業と制作が分かれている会社であっても同様。この場合は営業に対して見積と請求を出す事になる)、それともサラリーという人月計算に甘んじるのか。好みの問題といえば好みの問題であるが、圧倒的多数が後者を選んでいる以上、人月がなくなることはなさそうだ。
人月を超えるとプログラムしている暇が減る

そんな難しく考えなくてもいいのです。人月単価モデルとは単なる労働提供型ビジネスモデルにすぎません。

「人月見積をやめる」と言うことは、つまりはその労働提供型ビジネスモデルを捨て、別のビジネスモデルを採用すると言うことであり、それがどんなビジネスモデルであれそのビジネスモデルの真髄である商品別の単価表が存在していますから、「悩みながら見積書と請求書を書く」必要など全く持ってありません。

なぜ「悩みながら見積書と請求書を書く」ことになるのかと言うと、これは簡単な話で、ビジネスモデル自体は労働提供型のままに人月単価を捨てようとするためであり、結果的に別の単価の中に労働提供型ビジネスモデルとは不可分の人月単価を隠蔽する必要があるからです。

つまりビジネスモデルと単価とは一体不可分のものであって、これを一方だけ書き換えるなどと言うことは原理上不可能なことであるのです。

そしてこのビジネスモデル自体が、その組織で働く個人の選択によるものではなく、組織の経営者の責に帰するレベルの問題であることは、考えるまでもなく明らかなことで、つまるところ経営者の判断であり決断しか、この人月問題の解決への道はあり得ません。 KAI