エルグランドの入院で今あらためて安全運転を思う

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エルグランドに乗って6年、エルグランドが初めて5日間入院することになってしまった。

頭が空白の5秒間。いつもなら必ず確認するのに、なぜかよく見ないままバックしてしまった。いや見たんだけど、そこにガードレールがあるなんてまったく気づかなかった。

左後ろをこすり付ける異様な音にあわててブレーキを踏む。あーあ、やってしまった。

なんで今あわててバックする必要があったのか、まるで理解できない。理解できないけれど、こう言うときに必ず事故は起きる。

KAIの運転歴は、高校生の原付に始まります。

これが大学生になって普通免許に替わって、学生時代はずっと中古車にのっていた。

東京に就職して、そのまま中古のローレルを東京に持ってきたのはいいけれど、アパートの家賃より高い駐車場を借りることができず、路駐で1年間しのぐことができた。当時はまだおおらかな時代でもありました。

結局そのローレルを手放すことになるのですが、一緒に車を運転すること自体をやめようと思うある事件がきっかけでした。

休日府中のテニスコートでテニスをした帰りです。甲州街道を一路新宿へ向かう途中、信号が黄色になる。

やり過ごそうと思ってアクセルを踏んだ瞬間、その黄色の信号の先に、突然もう一つの信号が現れて、その信号はすでに赤になっている。

その瞬間がいまでもスローモーションのように目に焼きついています。

左側の歩道にストレートのロングヘアの女性が立っていてこちら側をまるで見ようとしないまま、1歩、2歩横断歩道を渡り始めた。ここでクラクションを鳴らせば女性は立ち止まって、間違いなく跳ね飛ばしていたでしょう。

ブレーキを踏み瞬間左側のガードレールと女性の背中の間を通り抜けた。

バックミラーの中の女性は、こちら側を見ることもなくなにごともなかったように渡り続けている。

ガクガク震えが止まりませんでした。

一歩間違えば今頃市原刑務所の中でした。歩道に女性が一人だけだったことにただただ神に感謝するしかありませんでした。

以来、しばらくの間こわくてハンドルを握ることができませんでした。

そんなおり、なんと路駐の無人のローレルに正面から突っ込んだうえ、なんとその車がその場から逃げてしまいました。衝突のすごい音を聞いて飲食中のお店から飛び出したはいいが、車は大破。相手の車はいません。目撃した人があっちあっちと言う。走って追いかけると今度は道路標識をなぎ倒している。しばらく行って右手の坂の途中に電信柱に頭を突っ込んだ乗用車が乗り捨ててあった。運転手はいない。

被害届けを出しに目黒署に向かう。そこで運転手が碑文谷の交番に自首してきたことを知らされる。

結局示談となって、丁度潮時と思って廃車することにする。もらった慰謝料で10何万するサイクリング車を買って運転を止めた訳です。

長い長いゴールド免許時代を経て、リキのためにエルグランドを買って運転を再開したのでした。

そして今回の事故で、あらためてあの甲州街道の事件を思い出しました。

安全運転の意味は、非常に重いことを、いまあらためて胸に刻んでいます。 KAI