千住の話には高校生の頃の話が毎回登場します。
先日、約30年ぶりに高校の美術部の仲間で集まる機会があったという。大病院や銀行、新聞社の重役など、皆それぞれの世界で活躍していた。でも、画家になったのは千住だけだった。
「高校生だったあのころ、『自分には絵しかない』と思っていたのは、もしかしたら僕だけだったのかもしれない。才能とは結局、上手下手のことではなく、『それがなくては生きていけない』という思いの強さなのかもしれません」
「才能ない・・・」進路に迷い(産経新聞、わたしの失敗 日本画家・京都造形芸術大学長千住博さん(49)、2007/8/22、p.19)
KAIにとっても原点は高校時代にあります。高校1年の春、本格的に物理の勉強をしたいと思ってその高校にはなかった物理部と言う公式のクラブ創りに奔走し、初代部長となって、クラブの顧問になっていただいた高木先生(当時京都大学の非常勤講師)のご指導の元、当時大学の教養課程でやるような実験はすべて高校時代にすませてしまいました。更に自分たちで巨大風洞を製作して、高層ビルの形状による風の流れの影響を調べる風洞実験まで手がけました。
結局物理学の道は、1浪して大学の物理学科に進学したものの、この大学の授業を受ければ受けるほど自分の目指すものから遠ざかっていくことがわかって、研究者として物理の世界にかかわることを断念しました。しかしこの決断に間違いはなかったと思っています。それは自分が目指した物理学と、学問としての物理学とは、まるで異なるものであることがわかったからです。
つまり、高校生の時から自分が目指してきた世界は、物(ハードウェア)の仕組みを研究する物理学の世界にはなく、むしろ今天職としているソフトウェアの世界の中にこそあることが、明確に見えてきたからです。
千住の「『それがなくては生きていけない』という思い」がまさにKAIにとっての、今のソフトウェアの仕事です。このソフトウェアと言うのは、これを究めれば究めるだけ、その本質において物や心の世界と繋がっていることがわかります。
そしてKAIの日常。毎朝3時前後に起床し、音の消したテレビをつけ、メールをチェックし、配達されたばかりの朝刊に目を通し、2合の米を研ぎ炊飯器にかけ、干物の魚を冷凍庫から出しておいて、散歩に出かける。散歩の後玄関前を掃き掃除して、ゴミを出し、干物の魚を焼いて朝ご飯を食べ、風呂に入って、仕度をして午前7時にオフィスへ出る。そこで1日、デモ以外はパソコン相手に仕事をする。夕方6時、ハイタイド。午後10時過ぎに帰宅してそのままベッドへ。
恐ろしいまでのこの繰り返しです。
しかし1日として同じ日はありません。毎日毎日KAIの中の「ソフトウェア」は進化していきます。これは単に思念のレベルであるとか、毎日毎日何万本の鰻を焼き続けて向上する技量のレベルでと言った意味ではなく、具体的な「プログラム」として進化し続けていると言う意味でです。この「プログラム」と言うKAIにとっての「作品」の裏付けがあって初めて、このブログを含めて1日何百件処理するメールの中身が、具体的な「ソフトウェア」として機能し始めるのです。
まあこれはすべてKAIの話の中の特殊な世界ではありますが、実はこれはフツーのビジネスマンにも共通した話であると言う話を、ほんとはしたかったのですがこれはまた、明日。 KAI
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