地震余波あれこれ

  • 投稿日:
  • by

地震後の対応が後手後手で、なぜいつもいつもこうなのかはさておいて、東電社長の引責辞任は決まりです。

稼働当初には想定外との言い訳が通用するかもしれませんが、何年も前にすでに活断層の上に原発があることが判明していて、何も手を打ってこなかった責任は重大です。

なぜこうなるのか。単に彼らが「市場経済」にさらされていないからです。つまり「代替」のない経済と言うことです。

これはかつての道路公団もそうで、1994年1月17日のロサンゼルス・ノースリッジ地震で崩壊した高速道路を見ても日本の高速道路は大丈夫と言って、彼らは何も手を打たなかった。彼らは、奇しくも1年後の同日に発生した阪神淡路大震災による惨状を目の当たりにして初めて、あわてて日本中で補強工事を始めたのでした。

この恐ろしいまでの想像力の欠如が、彼らの真骨頂です。

「代替」のない経済の中にどっぷり浸かってしまっていると、こうも目も耳も退化してしまうのでしょうか。間違いなく、東電を「代替」経済の中に引きずり込む必要があります。具体的にどうするかはまた別の機会に述べますが、要はストックとフローの二つの会社に二重化することです。

一方で「かんばん方式」で機転の利きすぎるシステムにも、問題がありました。

ピストンリングと言う、本田宗一郎も一人では作れなかったエンジン部品の50%のシェアを握るリケンの工場が、地震で操業できなくなって、この影響でトヨタを初めとした自動車メーカーがのきなみ生産中止に追い込まれた話です。

在庫を持たないから、たちまちこうなる。

抜かりがあったと言うことです。シェア50%なら、当然がごとく「代替」の確保は必須です。

残り50%を奪い合うのではなく、リケンの工場を分散させるなど「代替」確保にはいくらでも手があります。

しかしコトが起こらないとできない。最適化し過ぎたシステムの弊害です。在庫を持つこととは異なる次元の冗長性が必要であるってことです。 KAI