組織の進化のレベルが働き方を決める(2)

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相変わらず秋葉、渋谷、新宿、池袋、物販の現場は、元気にあふれています。

そしてその現場の中心はみな20代の若者です。

この現場の若者たちにとって「やりがい」とは何か、それが一様ではないことはあえて訊くまでもありませんが、この若者の労働を共通して動機付けしているものがあります。

それはその日の自分の売上であり、一日のお店の売上です。

いくらの商品がいくつ売れたか、ただそれだけで売上は決まってしまいます。

この売上に自分がどれだけ貢献したか、貢献しているか、これが若者たちにとってもっとも分かりやすい働く動機になっていることは間違いありません。

これが直接的に物販の現場にいなくても、その商品のデザインにかかわっていて、それがヒットしたとか、販売する商品やサービスへの自分のかかわり、貢献の度合いが若者たちにとってとても重要なファクターなのであります。

実はこれは、昔も今もまったく変わりありません。

20数年以上前、事件前の若かりしリクルートの現場の風景は強烈でした。広告売上目標を達成するとその運動会の万国旗のような目標がたれるオフィスで拍手をして雄たけびを上げて喜び、毎月社を上げて目標達成のお祝いのお祭りをして業績を伸ばしてきたのです。

たしかにこの雰囲気に同調できない若者も増えているのでしょう。しかしKAIも、このリクルートの風景に嫌悪感をもってみていた(当時)若者の一人です。

ここに集団主義、軍隊のようなニオイを感じて、どうしても好きになれませんでした。

しかし、今や立場が変わってしまったけれど、このニオイを感じることなく、IBMかどこかのEビジネスのコマーシャルのように、リアルタイムに皆が目標達成を喜ぶことができる時代になりました。

今やセカンドライフ同様、モニタの中で目標達成の喜びを共有する時代へと、大きく社会がシフトしているのです。

この「現場」にあって若者たちの「やりがい」とは、何か。

それは「現場」と言うデジタル空間上の「劇場」の中で主役を演じるか裏方かはたまた黒子を演じるか、自らがいかなる役柄で登場するかの、その演出に満ち溢れた組織しか、若者の「やりがい」すなわち「やくがら」を実現することはできません。

つまり「やりがい」とは「やくがら」であります。「やくがら」が多種多様にあるように「やりがい」がたった一つであり得るわけはありません。

渡されたシナリオの片隅の一通行人でもいいのです。シナリオの中の「位置づけ」を、今の若者たちが求めているとわかれば、お話はきわめて簡単なのであります。

彼らはそうやって仕事を他者たちから分離し、誰からもあれこれ指図を受けない独立の労働圏を確立したら、「はたらく自由」が手に入ると思っている。

とはただの一人の若者も、思っていないと、KAIは思います。

問題は、ウチダ先生のように「独立の労働圏」と言う単一の「やくがら」しか若者たちに演出できない組織の演出者たちにあると言うのが、KAIの結論です。 KAI