二つの天才論と二つの既視感

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久しぶりにあおい書店で、書籍の物色。

そこで購入した10冊の中の2冊が、天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣(朝日新聞社出版局、茂木健一郎、2007/03)とゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2(講談社、東浩紀、2007/3/16)。

さっそく自宅に帰ってこれを読み始める。

最近読書をするのに、無理なく読める体勢を発見した。ソファーにクッション2枚を枕代わりにして横になる。ここに蛍光灯のスタンドを持ってきて明かりの方向を手元の書籍に向けると、とてもよく文字が見えるし、本を持つ手もソファーに置いたままだからとても楽。

まずは東浩紀。ついこのあいだSecond Life論を書いたばかりで、このタイトルはモロにかぶっています。

が、どうも違う内容に、あとで“しっかり”読むことにして、天才論。

読み始めて20分、強烈な既視感を感じる。

本箱をみるとありました。天才になる瞬間―自分の中の未知能力をスパークさせる方法(青春出版社、斎藤孝、2005/06)。声に出して読みたい日本語でブレイクした斎藤孝先生の本です。

取り上げられる天才といわれる人物。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、モーツアルト、ニーチェ、夏目漱石、イチロー。集中力とブレイクスルー。欠落と劣等感。過去の経験と蓄積された情報。見ることとビジョン。意欲とパッション。

すべて同じです。唯一茂木が、ルネサンスと言う心身不可分の時代の子であるレオナルドの、その分析力と統合力、総合力と集中力の中に今の我々にむけた未来価値を見出す部分が、彼の脳科学者としての本領発揮といえるところです。

そして、もう一つの既視感。

 日本では、インターネットはごく表層的にしかとらえられていませんが、『ウェブ進化論』の著者梅田望夫さんによれば、グーグルやユーチューブの背後には、たいへん深いフィロソフィーがある。知は万人のもので、万人に調べられることを求めている、そういう哲学がちゃんとあるのだそうです。(p.126)

ふむふむ。ついさっき読んだフォーサイト誌4月号「シリコンバレーからの手紙」(127)。

 その中で最も刺激的だったのは、茂木が一月二十二日に東大駒場キャンパスで行った約三時間の講義だった(一月二十三日付「クオリア日記」からダウンロードして聞くことができる)。認知科学や複雑系の研究者や学生を対象とした講義の後半で、茂木は突然グーグルの話をし始めたのである。(p.50)

既視感もくそもない、両方同じ話でした。

これもインターネット。そこらじゅう既視感だらけでコワイ^^;。 KAI