宿命と自由

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ああもう30日。こうなるとテレビはとたんにつまらなくなる。

今朝もNHKは今年のスポーツを特集している。惰性でつけているうち、ある場面が目に。夏の甲子園再試合の決勝。最後のバッターとなった田中が、バッターボックスに入る前にニヤっと笑っている。そして斎藤も。田中はこの場面について、このあとのNHKのインタビューに答えて、神様の意思を感じたことを告白している。恐らくこれは斎藤も同じであったと思う。

KAIは、この場面を初めて目撃して、今朝いっぺんに田中と言う若者に惚れてしまった。

人生において成功する人間は、このとてつもない修羅場を「ニヤ」っと笑える人間であると信じて疑わないKAIにとって、このスローモーション映像は、正真正銘イメージ通りの映像でした。

そしてここにも。

ウチダ先生の麻雀に還れ

麻雀において、すべては宿命であり、同時にすべては自由である。
なぜなら、私たちは「自摸牌」という宿命に100%支配されつつ、同時に「打牌」において100%の自由を享受しているからである。
卓をよぎる一瞬の手さばきのうちに宿命と自由が交錯する。

宿命と自由こそ、人生であり、勝負であります。

宿命を嘆き、自由を不自由と思うことこそ、すでに勝負はついています。勝負に負けています。

田中と同じようにこの宿命に、「ニヤ」っとして目いっぱい空振りするかもしれない自由の選択を、いままさにせんかと年の暮れのハイタイドのKAIであります。 KAI