5年目の9.11に思う−−テロ化する交通戦争

  • 投稿日:
  • by

交通戦争と言う言葉を久しく聞きませんが、このところの酔っ払い運転による交通事故のニュースを見ていて、果たしてこれは交通戦争のテロ化現象ではないかと思えてきました。

加害者はまさか自分がテロリズムに加担しているとは思いもよらないでしょうが、社会ルールを暴力的に破壊し、無差別に人の生命と財産を奪う行為をテロリズムとすれば、酔払い運転でまったく何の罪もない幼い3人もの生命を奪うことを、テロといわずしてなんと呼べばいいのでしょう。

まるで普通に見える一人の人間が、ある日突然アルコールと言うテロリズムに憑依され、テロリストとなって無差別殺人に及ぶわけです。

もしこれをテロとするならば、社会はこのテロ化した交通戦争へどう立ち向かえばいいか、ある意味明白に見えてきます。それは、酔っ払い運転をする者を社会の敵であるテロリストとして徹底的に排除する以外にありません。

お酒を飲ませるお店にそれを強いても、売上がからんだりどうせ嘘をつく客相手ですので、無理です。相手にすべきは一緒に飲む者です。今回の事件も、一緒に飲み同乗さえする者がいたのです。一緒に飲む者は大概の場合、この人間がこの後酔っ払い運転をすることを知っています。

そこでこの者たちをテロリズム幇助として責任を、社会が問うことによって、普通の人間のテロリストへの憑依を未然に防ぐのです。

これは「おいお前、飲んで運転するなよ」などと言う生易しい防止策ではありません。周りの人間が「こらお前が運転したら、オレ達が殺人罪で刑務所に入るんだぞ」と酔っ払い運転を制止すると言うことです。だれだって自分はテロリストの一味にはなりたくありません。

社会が酔っ払い運転を許さない、自分が他人のそれを許さないことを、一人一人のその場に居合わせる当事者に強制する以外には、幼い子供たちの命を守る方法はないのではないでしょうか。 KAI