夢のベルエポック

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ウチダ先生の快調な飛ばしが小気味いい。前にも書いたことだけどKAIはまったく小説を読まないので、矢作俊彦なる作家がどう言う人でどう言う作品を書いているか皆目見当がつかないのに、これだけで手に取るようにわかる。

矢作俊彦はそのようにして自分が生まれてから今日までのすべての時間が「人類史上空前にして絶後の夢のベルエポック」だったという「壮大な嘘」に同時代人を加担させてしまったのである。
私もこの嘘に嬉々として加担した人間のひとりである。
その模造記憶の証人として、私は矢作俊彦の神話的世界について、「私もまた彼とともに『あの黄金の時代』に立ち会っていたのだ」と証言してみせ、そのことから多くの愉悦を汲み出してきた。
このプロジェクトを通じて、おそらく矢作俊彦は日本人に「誇り」を取り戻させようとしていたのではないかと思う。
私がいまここにいて、この場所の空気を吸っているということ、それ自体がすでに聖別された特権的経験なのだという確信は、人間を安心させ、勇気づけ、倫理的にすることができる。
その点で、幕末から日露戦争までの歳月こそ「日本史上まれに見るベルエポック」だという巨大な物語のうちに日本人読者を巻き込んで、国民的矜持を立て直させようとした司馬遼太郎の企図は矢作俊彦に通じるものがある。
姉ちゃん、次にいい男をみつけたら・・・

しかも司馬遼太郎の坂の上の雲と言う作品の意味まで、すとんと落ちるようにわかってしまった。

この坂の上の雲は、小説は読まないと言いながら、親父の書棚から何冊かを勝手に持ち出して、実は目を通す程度には読んでいたのでした。しかし何回目を通しても、最初の数ページと後のページ、2巻、3巻との間を行ったり来たりするだけで全然前に進まなかったのです。

この読書法は、あらゆるKAIが目を通す読み物に共通で、以前にも感じる脳(2)と言うエントリーで、

まだ30%ですが、こう言った本の場合、筆者は前半部分で読書時間の大半を使います。それは著者がどういったプロトコルで読者に語りかけているか、それを理解することが中心だからです。このプロトコルが理解できるとあとは、極端な話、ある意味、読んでも読まなくても同じです。つまりプロトコルと内容は一体不可分だと言うことです。

と、こう書いたとおり、小説でさえ同じように著者のプロトコルを、KAIは探索し始める習性があります。結局この司馬遼太郎と言う作家のプロトコルが理解できないままに、30有余年。

なんとこれがウチダ先生の、このたったの「日本史上まれに見るベルエポック」のワンフレーズで、すべて理解でき、納得したのです。

今、KAIは、IT業界の中で「夢のベルエポック」の中にいると確信しています。しかし現実の世間の認識は、まるで正反対です。誰もこれに立ち向かう者もいません。IT寵児が書く見積もりにも人月しか出てきません。誰もわかっちゃいない。

本田宗一郎や井深大による国民的矜持を、このITに求めるのが、21世紀の司馬遼太郎と言うのだけは勘弁してほしい。

ともあれ誕生日おめでとう > 夢のベルエポック KAI