事件は、誰もが予想していたとおりの展開になった。例の秋田の事件です。
人は、いくら憎いといってもそう簡単にその人間を殺すことはありません。必ずその殺人に至る心の迷宮の階段を登っていきます。登り切ったところで人は二種類の人間に分かれます。殺す人とそうでない人とに。そしてそれは心の中に「母性」を見出した人は人を殺すことはなく、「母性」を見失った人がその人を殺すのです。逆説的ですが人を殺すことでその人が持つ「母性」を取り戻そうとしているとも言えます。(母性の喪失(2))
この“逆説的ですが人を殺すことでその人が持つ「母性」を取り戻そうとしているとも言えます”は、秋田の事件の今回の展開を念頭において書いたものですが、この母親は、自分の実の娘を殺害すると言う母性の喪失そのものと、その喪失した母性を男児の殺害で取り戻そうとすると言う、二重の母性の喪失に至っているのです。
警察が女児の死を事件としていれば、後の男児の殺害を防げたかもしれないと言う意見もあります。しかし例え警察が事件としていたとしても、その場合は女は時をあけずに犯行を繰り返していたのではないかと、強く推量されるのです。
なぜか。
それは当初から自分の娘の死が、世間に強く事件であることを訴えていたからです。なぜこんなことをするのか。事件でないとされるほうがいいのに、と世間は思います。
しかし女はまったく意外な行動に出るわけです。KAIが考えるその理由は、女がそのとき「母性の喪失」以外の動機を持ち合わせていなかったからです。娘が憎いわけでもない。娘がいなければ、と思うわけでもない。ただ単に「母性を喪失」しただけだったのです。しかし女にはこの自覚はありません。娘を失ったその瞬間から、この女の母性探しの短い旅が始まりました。
なぜ私の娘はなくなったのですか?
世間に問うたのです。しかし誰も、恐れ多くて答えてくれません。所詮世間が出してはくれない答えです。再び自分で答えるしかなかったのです。男児殺害と言う答えを。
しかしなぜ女は「母性を喪失」するのか。
それは女が、母性でない、女性と言う性の虜になるからです。人である女は、母性と言う性を獲得することで、女性と言う性からの脱皮を果たします。子を産めない女も、精神性の世界で母性を獲得するのです。人の赤ん坊を抱きしめるかたちで。
人は、生まれたときから男性であったり女性であったりするわけではありません。互いに異性を意識する中で自らの性を確立していきます。ところがこのプロセスで、互いの異性間の結びつきが強すぎる女性は、男性と言う性に引っ張られて、女性性から離れることができなくなります。この結果の、母性の喪失であるわけです。
事件の陰に女あり。これとまったく同じ理屈で、女の事件の陰に男あり。
これが母性の喪失の真相であると、KAIの仮説です。 KAI
nao
一週間ぶりに実家に帰省してようやくPCを
いじれました(^^;)
先日は、おあついメールをどうもありがとうございました。
で、ランチは何を作ってもらったのかしら?
みせびらかしてくれるなら、そこいらまでちゃんと報告してほしいですぅ!
先週から更新された1週間分のブログ読ませていただきました。
松下幸之助はnaoには難しいけど、
母性の喪失には「なるほど」って思いました
て、ありきたりなコメントですが また書き込み
させてもらいます。 nao