松下幸之助の言葉(2)

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あなたの会社は人をつくらず、人をつぶしていると言うのがIT業界の実態のようです。

ITproのやはり危機に瀕していたIT業界の「モラル」から。

7割弱がモラルの欠如を実感

 調査では,まず「3〜5年前と比べてモラルが欠如していると感じるか」を尋ねた。すると「強く感じる」とした回答者が24.3%,「やや感じる」が42.2%となり,程度の差はあるものの,全体の7割弱が何らかの形でモラルの欠如を実感していることが分かった。回答者の立場(ベンダーかユーザーか)や所属企業/組織の従業員規模などが違っても,この傾向に偏りはなかった。

 この数字だけをもって,必ずしも「モラルの欠如が深刻な状態にある」とは言い切れないかもしれない。だが,回答者が寄せた自由意見には,モラルの欠如を指摘する声が目立っていた。

これでは松下幸之助さんの言葉が素直に耳に入っていかないのも、頷けます。なぜITと言う仕事は人をつくらないのか、なぜ人を育てないのか。

その理由(わけ)を知る手がかりが格す(ただす)と言うキーワードです。

ハードウェアの技術者は、物理法則が人を格します。サービスを提供する人間は、相手する客が人を格します。同様にソフトウェアの技術者は、倫理法則が人を格すのです。

この格すを理解する良い事例がウチダ先生のエントリーにありました。

昼から居合研究会の稽古。
定期的にさわっていないと本身の刀は怖くて抜けなくなるので、月一ペースで居合の稽古をしている。
身体運用一般にかかわる気づきが毎回ある。
このところの技法的課題は刀を止めるときに全身の構造的安定によって刀を止めるということである。
腕の力で止めていたのでは遠からず肘や肩に痛みが出る。
そういうデリケートな関節部に痛みが出ると、周囲の筋肉を硬くして、痛みを散らしてこらえるようになる。
しばらくはそれで済むけれど、何年か経つと、背中や腰の中など、直接関係ない部位に凝りが出て、やがて激痛を発するようになる。
痛みを覚えると、私たちはすぐに痛みをこらえて身体感覚を鈍感にするという安易なソリューションに訴える(そんなことをしても痛みは消えない。潜伏するだけである)。
身体感覚をできる限り鋭敏に保つことを生命線とする武道において、これは自殺行為である。
痛いのは身体の使い方が間違っているからである。
どこにも痛みも出ないように身体を使うための条件として、重く扱いにくい刀は与えられている。
刀がある位置にある軌跡をある速度で移動してきたことによって、身体全体の安定性が最大になるような刀の動き方を探す。
はじめるときりがない。
汗びっしょりになって家にもどる。

この日本刀と人間の関係は、ソフトウェアとソフトウェア技術者との関係、あるいはアプリケーションとそのユーザーとの関係に相通ずるものがあります。切れる刀を下手に振り回せば自らの身体を傷つけます。ウチダ先生のように手練れが刀をとめても身体をこわすことがあります。

刀を格すことができるのは「全身の構造的安定」によるのであって、力によるのではないと、ウチダ先生はおっしゃっているのです。

これだけでは一体話がどう繋がっているのかワケワカメでしょうが、とりあえず今日はこれまで。 KAI