ロックインの功罪

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ITproの記事Linuxにベンダー・ロックインはあるかを読んで、以前から気になっていたこのロックイン問題についてひとこと書いておきます。

 「Linuxはベンダー・ロックインされた寡占市場」 --- こうもらした,あるLinuxディストリビューション・ベンダーのトップの言葉がずっと気になっていた。

そもそもこの議論の前提に、ロックインはユーザーにとって悪、と言う考えがあるかと思います。ロックインによってユーザーが選択肢を奪われることのデメリットを指しているわけですが、はたしてこれはほんとうでしょうか。

筆者はこの議論のポイントが、ユーザーとベンダーとの間の力関係にあると考えています。ITがらみのロックインであれば古くはメインフレーマーによるユーザーロックインに始まり、それがパソコンの普及とインターネットによってロックインの対象がハードウェア→ソフトウェアへとシフトするとともに、これが今やソフトウェア→サービスまで進行しています。いわゆるGoogleによるロックインであったりするわけです。

この流れをユーザーとベンダーの力関係で見ると、ユーザー<<ベンダーユーザー>ベンダーユーザー>>ベンダーとなって、いまではGoogleと言えどもユーザーの絶対的な支持のないサービスはなりたたなくなっているのです。

そして、途中をおもいっきり端折って結論を言うと、ロックインとは実体のない概念だってことです。ですから存在しないモノの功罪の議論も無意味ってことです。では何があるのかってことです。これはしばらくたって続きを書きます。 KAI