公私混同論

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9連休中(と言っても1日、2日はお仕事!)、4回目のテニス。連休でみんなでかけて面子がたりない。思い余って愉快な仲間のU生くんに電話。ぼくできますよってんで(期待しないで^^;)お願いする。

結果は、U生くんとKAIのペアが1勝1敗1分と、期待していなかっただけ大勝利。何事もほどほどの期待が佳ろし(違うって^^;)。

で公私混同論。

この話はほんとに難しい。何が難しいかと言うと、必ずみんな勘違いをしてしまうからです。

公私混同のすすめを話すと、公から規律がなくなってしまう。

公私のけじめを厳格に言うと、私から公が消えてしまう。

ここは交際費と言う金の話に限定して、お話したい。例えばある課長が部下と一緒に飲みに行って、ここはオレがと言うのは給料の問題であって、今回の話とは関係なし。

交際費とは社外の人間との飲み食いの金です。

社外の人間との飲み食いの金を、企業の費用として計上するためには、当然がごとくその名目が必要です。やれ営業目的の接待だ、やれ仕入先の社長へ値引き交渉だ、やれ媒体関係者との情報交換だ、です。

しかし、筆者の会社は、これを一切認めないし、今後も筆者が生きてる限り認めません。

しかしのしかし、筆者は、こう言った具体的な名目がないことこそ、交際費として認めたいと考えています。

名目すなわち下心です。

下心で金を使っているうちは、決してこの金は、生きません。どぶに捨てる金です。

下心なく、社外の人間と飲み食いする金は、ある意味、私です。しかし、この金こそ本来金自身が望む自分の使われ方であるのです。

どう言うことか説明します。

金と言うのは、その金が使われる目的が明白なほど、金ではなく、その目的に人の関心が行くのは、当然です。しかし、もし、そうではなく、金が舞台の脇役のように表に出ないで、いまあるドラマのシナリオの流れに貢献することができるなら、これほど本来の、金と言う、精神の酸化、すなわち精神の燃焼のための酸素に、金は化身するのです。

難しくてすまない((C)ウチダ先生)。

つまり、もし私たちの企業で交際費を認めるのは、下心(もちろん私欲を含めて)がないことを証明できれば、おおいに使いなさい、これだけです。もちろんCEOである筆者も含めて、です。 KAI