ナショナルジオグラフィックスの最新号(2006/2)が面白い。(p.124)
イタリアのピサ大学教授で精神医学を研究するドナッテラ・マラズィッティは、恋わずらいを生化学的な側面から研究している。自らの二度ほどの恋愛経験から、恋の恐るべきパワーを実感した彼女は、恋愛と強迫神経症に共通点があるのではないかと考えるようになった。
彼女らの研究グループは、恋わずらいにかかっている被験者24人の血中セロトニン濃度を測定した。(中略)
恋わずらいの人と強迫神経症の患者のセロトニン濃度を調べ、どちらにもかかっていない人と比較すると、前者はいずれも、血中セロトニン濃度が正常な人より40%も低くなっていた。わかりやすく説明すると、恋と強迫神経症は、化学的にはよく似た状態だということだ。
恋に振り回されて悩んでいる人にとっても、そうした抗うつ薬は高い効果をもたらす。米ラトガーズ大学のフィッシャーによると、薬を服用することで、人が恋に落ちて愛し続ける能力が妨げられるという。胸が締めつけられるような恋の喜びや、そこからわき起こる性的な衝動が抑えられてしまえば、恋愛関係は維持できなくなるだろう。
フィッシャーはこう語る。「私の知り合いに離婚寸前の夫婦がいました。奥さんは抗うつ薬を飲んでいたんですが、薬をやめたら、彼女にオルガスムスがよみがえりました。彼女はご主人に再び性的魅力を感じるようになり、今や二人は熱々の仲なんです」
(「愛」を探求する 文=ローレン・スレーター 作家)
なんとなく逆のように思える結論です。つまり、うつを直す抗うつ剤の方が恋愛を助長するのではないかと。しかしよくよく考えてみると、これは“内なるもの”のスペース問題とみなすことで、きわめて合理的に説明できる現象であることに気づきます。
つまり、こう言うことです。まず自分と言う内なるものの中のスペースを半分に区切ります(○に縦の線を入れる)。左半分が本来の自分です。恋愛とは、この状態で右半分を空白(真空)にして、右半分のスペースに恋人を招き入れようとする心の作用です。そして恋人を十分に右半分に招き入れることができたときが恋の成就です。それに至るプロセスでは、相手を十分に招き入れることができず、右半分のスペースに隙間がある状態になりますが、これこそ恋わずらいの状態であると言えます。同時に、その隙間分だけ、自分と言う○が縮こまることになります。いわゆる胸がつぶれる思いです。
では強迫神経症はどうか。この場合の右半分に招き入れている恋人とは、人ではなく強迫観念です。こちらはすでに右半分を強迫観念が占有しています。ですから抗うつ剤で右半分の強迫観念を追い出す必要があり、○の真ん中の縦線を右側にどんどん寄せて、左半分の自分の面積を大きくしてやるわけです。最後は真ん中の縦線のない、自分だけのいる○になって、治癒されます。
上記引用の中の、離婚寸前の夫婦の事例では、右半分にいる強迫観念を追い出すつもりが、一緒に亭主も追い出していたと言う、笑えない笑い話だったのです。
しかし、この事例は示唆に富んでいます。私たちは、強迫神経症と言う病気までいかなくとも、なにがしら自分と言う内なるものの右半分を、心配事が占有しているように思います。そしてこの心配事を追い出すことに明け暮れているうちに、一緒に、恋愛と言う豊かな感情までも追い出してしまっているのではないでしょうか。
このあたりが「心配力」の解明のヒントになるような気がしています。 KAI
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