このテーマで言い残したことがあります。それは、テレビ局にとって、放送と通信では、お客様が違うってことです。
番組枠をスポンサーに販売すると言う機能単価モデルでは、テレビ局にとって、お客様とはスポンサー企業です。視聴者は、サシミのツマならぬ、視聴率と言うパフォーマンスを保証する、いわばサーバント、召使いです。このことを主人であるテレビ局があからさまに言うはずもなく、視聴者はカミサマであるかのように祭り上げられる、オメデタイ存在以外なにものでもありません。
これに対して、通信における情報単価モデルでは、一般消費者がテレビ局のお客様となります。ここでは、広告モデルの広告出稿企業は、一般消費者からの情報単価と言う代金を回収する、集金代行業者の扱いになります。つまりこちらがサーバントです。
この二つの違いは、テレビ局のビジネスモデルを考える上で、非常に大きな影響を与えることになります。
まったく異なる考え方の二つのビジネスモデルが、一つの企業の中に共存することは不可能です。当然会社を分ける必要があるし、それだけでは足りません。経営者に、一般消費者をお客様とするビジネスモデルを理解した人物をすえる必要があります。
デジタル放送になれば、番組で流された音楽の曲名を、インターネットで調べられると言うようなことをして“放送と通信の融合”をナイーブに予測する評論家の方々は、全くコトの本質が理解できていません。この人たちは、曲名を調べるための“機能”を開発し、サービスを維持するための費用を誰が負担するのか、一度でも具体的にその仕組み、仕掛けを考えたことがあるのでしょうか。
たとえGコードのようなものを開発して共通化しても、逆に、Gコードが放送のデジタル化で存亡の危機に立っている事実、つまり、技術自身の陳腐化は避けられません。ここは既成の標準化ではなく、インターネットのサーチ技術のように、競争による技術開発が不可欠であり、その競争の場を保証するデジタル放送の仕組みが絶対条件になります。
この構造は、新聞とインターネットとの関係にも言えるのですが、こちらについてはいずれまた。 KAI
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