筆者には3人の子供がいるのですが、長子である長女は、特殊能力を持っています(持っていたと言ったほうが正確ですが)。
紙片に試験者であるカミさんが書いた文字あるいは記号を、見えないように小さく折りたたんだそれを手にしながら、被験者である娘が、そこに書かれていると思う、その文字あるいは記号を書き留めると言う実験です。
この紙片と書き留めた“答え”の紙を、今でも後生大事にかばんの中に持ち歩いていますが、まさに、驚愕の結果です。10回以上行ったのですが、このことごとくが、ほぼ一致しているのです。
その時までこの手の番組を何度も見てきました。プロレスの世界と同じと無視してきたのが、このとき以来、一変しました。娘に聞けば、非常にエネルギーがいって疲れる中で、暗闇に自然と見えてきたそうです。筆者もためしにやってみましたが、さっぱり見えません。
なんでこんな話を思い出したかと言うと、日本書紀と日本語のユダヤ起源(徳間書店、ヨセフ・アイデルバーグ、2005)の中の、ヘブル文字とカタカナ/ひらがなの類似(p.86)、と言う章に、かつて娘が書いた同じ“記号”を発見したからです。
類似性について、本書を実際に手に取っていただければ、筆者の驚愕と同じ体験をされるはずです。
今のところ、この専門的な考察には、筆者は興味がありません。優秀な大学院生によって検証してくれればことたります。そうではなく、このユダヤと日本の関係と言う世界の、まったく意外な伏線の存在に、民族のシンクロニシティと言う、運命の必然性を見出し、ただ感服するしかないな、と思うのです。
人が生きることの意味は、この“運命の必然性”、つまり共時性につきる、このことを確信したしだいです。(なんだか毎日共時性って言ってるような^^;) KAI
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