年末の大掃除です。なぜ人は年末に掃除をするのか、別に年末でなくてもよさそうに思うし、しかも“大”までつけるし。しかし、かたづけるのは、家の中だけではありません。仕事もかたづけないといけないし、場合によっては人間関係もかたづける必要があります^^;。
かたづけると言う行為は、わたくしの中の“内なるもの”のエントロピーの減少を意味します。この内なるものについては、以前のエントリー内なるものと外なるもので触れていますが、この“内なるもの”の中にあるゴミ、シワ、ヨゴレ、ミダレ、フメイ、フジョーリ、フアンなるものを、“外なるもの”の世界へ排出することにより獲得するスッキリ感、サッパリ感こそ、かたづけると言う行為の本質です。
つまり、年末にセッセ、セッセと掃除して、スッキリ、サッパリと新年を迎えたいと言うことです。
が、しかし、これは本当でしょうか。
ウチのカミさんの掃除をする一番の動機は、“人が来る”からです。決してスッキリ、サッパリしたくて掃除をしているようには、端から見ていても、思えないかわりに、誰か我が家に訪ねて来ると言うとオニのようにかたづけ始めます。
この数少ない事例^^;から大胆な仮説を立ててみました。
人はなぜかたづけるのか、それは、“内なるもの”に新たなるものを招き入れるためのスペースを創るためである。
脳内活動において、私たちのマクロレベルではこの仮説は有効なように思います。脳内で情報が混沌としている間は、新たな情報を受け付けることはできません。新たな情報を受け付けるために、古い情報は忘却と言う手段でかたづけるとか、沢山ある情報を捨象と言う形で情報量を減らすとか、積極的に脳内の情報のかたづけをやっているように思います。
実際に、感じる脳(2)で取り上げた感じる脳(ダイヤモンド社、アントニオ・ダマシオ、2005)の中の記述を、筆者の都合よく引用すれば、人の意識は、脳内マップと言う形で、具体的な物質的空間的領域と結びついていて、つまりスペースを持つと言うことです。このスペースの中のお掃除(マップの変更)が実に0.1秒以下の時間スケールで行われている(p.162)ことは驚異的です。
仕事をかたづけるのも、次の仕事ができるスペースを創るためと考えるとなんとなく納得いきます。特に締め切りぎりぎりにならないと書けないレポートなどは、有限な仕事スペースから締め切り棒でむりくり押し出されるトコロテンと言ったトコロ、です。
と言うことで、年末の大掃除です。家の中を大掃除して、玄関にしめ縄かざって、神棚にろうそく立てて、心を新たにして新年を迎えます。心の中のスペースをあけて迎え入れるもの、それは、福の神です。
どうか来年も福の神が来てくれますようにと、心をこめて大掃除をします。手抜きするだけ福の神もご遠慮あそばすようですので、そこんところ、くれぐれもよろしくお願い致します。(って誰に言ってんの?) KAI
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