技術情報のためのKAI的系譜(4)

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今まであえて書いていませんが、マニュアルを読んでわからないことがあると、ソフトウェア工場の技術者に電話して直接聞いていました。もちろん文法を教えてなんて話は一切受け付けてくれませんから、このマクロのレジスタ1にセットされるビット0がなんたらかんたらと、マニュアルに書いてない話を訊くついでに、そもそもこのマクロの使い方ってこれでいいんですかねえ、なんて調子でもともと訊きたかったことをちゃっかり教えてもらっていました。

これも、実際に現場でやるうちに、こちらのほうも詳しくなって、VSAMマクロがシステムエラーを起こす原因を尋ねたら、某国際ビジネスマシン社もそうなっているから移行性維持のため仕方ないんだってことで、こちらで回避策をとったりしてました(そう言えばこのときからですよ、システムバグの回避策に明け暮れる日々の始まりは^^;)。

システムが順調に立ち上がると、今度は山のように運用上のトラブルが発生します。ただすでにマニュアル30冊を読破していましたので、現象が見えると、あ、これはあのマニュアルのあそこらへんに書いてあったやつだなんて、仕舞いに何ページかまで覚えてしまう始末です。

とは言え、順番にマニュアルも当てにならなくなります。まもなくして新しくTSS端末が導入されるのですが、これによって今までの共同計算センターの運用方式が一変します。センターのオペレータがジョブの依頼を受けそれを実行し実行結果(印刷物)を返す方式から、ユーザーが直接TSS端末を操作しコンピュータを使用する方式への転換です。

ユーザーは、オペレータと違って、何をしでかすかわかりませんから、想定外の使用に耐えられるよう、あちこちにプロテクトをかける必要があります。当時のOSには、こういったユーザー管理の機能が十分に備わっていなかったため、KAIが自分で作ることにしました。平日は業務に追われて休日しかやる時間がありません。自宅の近くの喫茶店に朝から晩までいて自分だけ理解できる仕様書を作り上げました。入社2年目の5月のゴールデンウィークのことです。これをフリーチャートにして更にコーディング、デバッグと完成したのが7月頃でした。これと似たような機能を持った有償プロダクトが、この2年後にメーカーからリリースされ、その後VM(仮想マシン)システムへ切り替えるときに、KAIの作ったシステムはその有償プロダクトに置き換えられたのでした。

しかしこの仕様書づくりは本当に苦労しました。今までは、どこかを探せばなにがしらの答えが見つかる問題ばかりでした。それが今回はまったく、手本すらありません。その時から筆者が問題を解くときの口癖が、「ディスクが・・・、ディスクが・・・、」。こう呪文をとなえると、その後に続いて答えが出てくるのです^^;。

何も手本がない中で一体何を手本にしたかと言うと、「常識」です。一旦コンピュータを離れて、人間世界でやるんだったら、一体どうやればいいか。ふつうはこんなことはこうやるよな、こうしたらこうやり、ああなったらそうやればいいんだよな。当時のKAIにとって技術情報の蓄積はほとんどないに等しい中で、大学時代、体育会の硬式庭球部(一応一部リーグ)できたえた部員管理と言う“立派な”リアル社会の常識がありました。

TSS端末からアクセスしてくるユーザーを庭球部の部員に見立てて、彼らのコートの中でのふるまいをシミュレーションしました。そうするといままで皆目見えなかったことが、まるで彼らが自由にテニスをプレイするがごとく、ユーザー一人一人の振る舞いが目の前で展開され始めたのです。そうか設計するってこう言うことだったのか。ここでもKAIは天の啓示を受けます。 KAI