マニュアルを読め
当時の汎用機は、メインコンソールとサブコンソールで操作し、後のプログラムの実行はカードリーダーから、パンチカードを読み込ませて行うものでした。これ以外の端末は専用回線で接続された、オンラインリアルタイムシステム用のダム端末が何台か接続されているだけです。本番稼動後、RT(リモート)端末やTSS(タイムシェアリングシステム)端末が追加されていきますが、当時の環境には現在のようなクラサバ環境は影も形もありません。
こいつをどうやって使いこなすように設計するかって、オイオイ入社1年目の人間にそんなこと頼むほうがおかしいよとぶつぶつ文句言いながら、積み上げられた30冊のマニュアルを読み始めました。参考になるのは、リアルOS時代の運用マニュアルだけ。気持ちはオランダ語でかかれた医学書を初めて翻訳する緒方洪庵(全然違うけど^^;)。
しかし人間と言うものは不思議なもので、ただの一度も使ったことがないバーチャルOSマシン(この作業を終えてから年末まで死にそうになるくらいかわいがってあげました)が、4日目くらいから見え出すのです。会社の近くの銭湯に入って下着を替えながら会議室に泊り込んですでに1週間の二度目の土曜日。やっと理解できました。理解できるとなんとも簡単。粛々とリアルOS版運用マニュアルをバーチャルOSの言語に書き換えるだけ。やっと月曜の明け方、できあがりました。
その月曜が、農水省の統計情報部担当者との打ち合わせの日です。何とか間に合いました。
その後、技術会議側にも説明するのですが、その担当者が東大の統計学の権威奥野教授の奥様。この奥野女史相手に筆者は、とんでもないミスをしでかすのですが、この話は墓場までもって行きます^^;。この経験をするまで筆者は、大学時代、ゼミで論文講読をやった程度で、人生これほど集中して短期間に書物を大量に読んだ経験は初めてでした。
ある意味、この経験が、その後の筆者のソフトウェアと言うエンジニアの支えになっています。ソフトウェアエンジニアは量との戦いです。量を制御することこそ、ソフトウェアエンジニアリングの本質ですが、この話を始めると長くなるので、これはまた別の機会に。
そうして得た結論が冒頭のマニュアルを読めになるのですが、まだまだドラマのような展開があります。(続く) KAI
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