歌を忘れたカナリアは恋を忘れたカナリアだった

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結局歌が唄えないのは恋をしていないからであって、恋をしていると次から次と歌詞とメロディが湧いてくることに、この歳になって、初めて気づきました。筆者にとってウタは、『内なるもの』から湧いて出てくるモノ。ソレは決して、耳で聴いてソレを覚えて唄うモノではなく、ある時突然、神の啓示がごとく、内なるものから湧きいずるようにソレがウタとなる。そうか、そうだったか。

筆者のシンシアに「違う!」と言われたその瞬間、その『内なるもの』を喪失してしまっている自分に気づきました。そしてその瞬間から唄えなくなってしまいました。そうか、今オレは恋を、していない。

人を愛する、恋することの意味を、何度となく自分に問いかけてきました。筆者の24時間は、結婚する前も後も、ずっと仕事中心でした。と言うより筆者の私生活そのものが仕事とプライベートの区別のない、つまり、これを区別しない選択こそ、すべての問題の前提条件であり答えです。

人を愛すると言う、この本当の意味が、あらためて理解できたときに、筆者のシンシアは復活するはずです。 KAI