結局歌が唄えないのは恋をしていないからであって、恋をしていると次から次と歌詞とメロディが湧いてくることに、この歳になって、初めて気づきました。筆者にとってウタは、『内なるもの』から湧いて出てくるモノ。ソレは決して、耳で聴いてソレを覚えて唄うモノではなく、ある時突然、神の啓示がごとく、内なるものから湧きいずるようにソレがウタとなる。そうか、そうだったか。
筆者のシンシアに「違う!」と言われたその瞬間、その『内なるもの』を喪失してしまっている自分に気づきました。そしてその瞬間から唄えなくなってしまいました。そうか、今オレは恋を、していない。
人を愛する、恋することの意味を、何度となく自分に問いかけてきました。筆者の24時間は、結婚する前も後も、ずっと仕事中心でした。と言うより筆者の私生活そのものが仕事とプライベートの区別のない、つまり、これを区別しない選択こそ、すべての問題の前提条件であり答えです。
人を愛すると言う、この本当の意味が、あらためて理解できたときに、筆者のシンシアは復活するはずです。 KAI
わど
うーん、ウタは恋心ってやつですか。なんだか、ものすごい「ウタ論」ですねえ。嫌味じゃないですよ。
内田センセーのブログに「他責」のお話がありましたが、KAIさんの場合は「聞けないテメェが悪いだけ」で
すまさないところが、またすごいと思いました。僭越ながら。「自責」ですね。ただ、何といえばいいのでしょうか。
感受性とか、心性の生き生きした状態? その動力源を女性関係に求めていく、ってお考え?
いまのKAIさんが、そっち方面でガス欠状態ってことなんですね。 こういうのを「埋め合わせ理論」とかいうそうです。
欠けたことで初めてわかる、ってやつです。あまりヤバイ修羅場はお避けになりますように(笑)。
また「シンシア」上手になるため女性に依存って感じで、マザース・コンプレックスな誤解を受ける可能性も(笑)。
*「車間距離」など、いろいろコメントしたい記事がありましたのに、スルーして申し訳ありません。
あの記事読んで、実地に検証していたんですが。おれ、タクドラですから。
でも、ご報告するような結果がまとまらなかったんです。
ではまた!
KAI
わどさん、あんまし詳しく書けない^^;;