内なるものと外なるもの

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この問題を専門的に考察してきたわけではないのですが、ずっと気になっているテーマです。

人は、内なるものと外なるものとを常に区別しようとする生き物であると、筆者は考えています。

例えば男と女が出会い、つきあい始めて、やがて一緒になっていく。その過程でいつ、男あるいは女は、内なるものとして相手をみなし始めるのか、実に興味深いテーマです。またこのBlogで、フランスの暴動をもし取り上げて言及すれば、これは筆者がこの問題を筆者の“内なるもの”として認識しているとみなすわけです。そしてその言及の中身は、内なるものの歪みの解消に向けたものとなります。(この歪み解消のプロセスは、あの懐かしのフォーク・クルセダーズの北山修が医師として著した名著心の消化と排出(創元社、北山修、1988)に詳しく記述されています)

今回はこの人の心の問題ではなく、アプリケーションにおける内なるもの、外なるものの問題です。

結論を先に書いておくと、T1AP(東京ワンアプリケーション)もWeb2.0もGoogleOSも何もかも、今まで内なるものと思ってきたものが外なるものとなり、外なるものと思ってきたものが内なるものになると言う、トポロジー的な裏表の逆転現象とみなすべきであると言うことです。

この連休中、あれこれと思索にふけってきて、いま頭の中の問題が恐らくこれですべて説明できるような気がしてきました。

すでにアルコールが入っていますので具体的なお話はアシタ^^; KAI