青い海論、徹底討論会

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東條会長から会員へのメール

NEXTQ会員の皆さんへ

10月28日夜、「青い海論の徹底討論会」を下記要領にて開催します。時間はエンドレス、宿泊覚悟の構えでやります。現状打破を望むのであれ、現状適応を精緻化するのであれ、ソフトウエアに業としてかかわる者にめったにない理論武装あるいはブレーンリフレッシュのための絶好の機会です。
秋の長夜を膝を交えた濃密な理論バトルの空間で過ごしましょう。

KAIから会員へのメール

青い海論の徹底討論会に参加させていただく、open.jpのKAIです。よろしくお願いします。

一応議論の足しになればと思い、先日から私のBlogで展開しています「ASP型モデルのすすめ」をご紹介させていただきます。ご笑覧ください。

■そろそろお終いに

■そろそろお終いに(2)

■モデル指向はなぜ必要か

■モデル指向はなぜ必要か(2)

■モデル指向はなぜ必要か(3)

■モデル指向はなぜ必要か(4)

■モデル指向はなぜ必要か−−番外編

東條会長からKAIへのメール

 KAIさん、東條です。
 「前哨戦」への投稿、ありがとうございます。
 28日の開始時間は午後4時ではなく午後6時でありました、事務局からの訂正文にあるようにスケジュールをよろしくご再設定ください。

 さて、「ASPモデルへの奨め」、ざっと読ませていただきました。計量経済学風の数式は割愛させてもらい、そこでに機能論と人月論につき、青い海論を深めるに役立ちそうな視点を抉り出してみます。
 
 そもそもの定義である「ソフトウエアとは機能である」という割り切りは、身近な経験ではファンクションポイント方というのがありますので、やや戸惑いますが、納得できます。利用者から見ると、その機能により幾ら節約できるかあるいは幾ら利益が見込めるかという金銭価値として実践的な説得力を持ちます。
 とくに後者の利益寄与については、市場は相当に明確な説得を我々に要求していますし、これに答えられれば、営業は成り立ちます。
 ただし、青い海論からゆくと、この「機能」は、「従来の常識を破る」ようなブレークが絶対に必要です。これには二種類あり、一つは「従来機能を圧倒的に安く早く正しく実現する」ものであり、もう一つは、「不可能として放棄されていた機能、あるいは誰も想像すらしていなかった機能の実現」です。前者を改善型、後者を発明型と呼んでよいでしょう。それぞれ単独か両者が混合したものが、実態でしょうが。
 おそらく日本のソフトウエア業が得意とするのは前者であり、米国シリコンバレー型が目指すものは後者なのだと思われます。
 ここで議論したいのは、「付加価値=売買する機能の値段」(KAIテーゼ)という枠を超えた空間です。これは改善型でも発明型でも双方に存在します。売買という需要供給曲線の均衡点で決まらない値打ちをソフトウエアは瞬間的に持ちえる、その瞬間が青い海の原点ではないかと、考えるのです。この点が線や面になれば、またNEQTQで4次元化すれば、青い海がひらけます。
 ここで詳しくは説明できないのですが、いわば芸術的希少価値、のようなものをどこかでソフトウエアの創造者(単数でも複数でも)が感応できないと、何事も始まらない、これを青い海の原点として私は強調したいと思っています。
 この瞬間にむけた成功の原理を抉り出すこと、なぜそんな発想や実装に辿りついたのかを、知識としてと同時に感動をもって受け止めること、これをぬきにソフトウエアが価値を産めるなんて信じられないのです。仮称「匠」という原点の確認はNEXTQのあらゆる構想に埋め込むDNAとせねば面白くないのではないかと愚考しています。
 
 ところで、人月論(単価X人月数)については、そのおぞましさや弊害はまったくその通りなので、あえて異論を唱えませんが、「存在するものは合理的だ」という視点から、この計量方式がソフトウエア業界に根づく必然性を力学として把握すりことは避けられません。私の甘い仮説からすると「保険機能」こそがこの力学の運動方程式なのです。この機能さえ充実すれば「機能の値段」による商売は成立可能と見ます。「やってみないと分からない」というのが一回性を特徴とするシステム開発の最大の特徴で、これを優れたアーキテクトが居れば回避できるというのは幻想です。ユーザもいいかげんなら作る方もいいかげん、これはこれで実に柔軟で学習即実践というリアルタイム性を持ちうるのです。したがって、この出鱈目さをある程度、保険でカバーできれば、あやしい業者ははびこることは無いはずですし、当事者が成功失敗のダメージのうちに滅びることも無いはずです。
 しかし青い海は、この保険機能を制度として求めるのでなく(そんな試みは体力ある当事者にまかせます)、しいていえばリスクをあらかじめ顕在化させることを求めシステム構築の「一回性の曖昧さ」の世界からいかに遠ざかるかにその成功が懸かっています。SIerはしたがって、良いお客さんなのです。「高い保険金を払うか」「手配師に堕するか」の展望しかない赤い海の住人達に対する「本当の保険」の選択肢の提供こそが青い海の存在理由なのです。そのための力量については今は論じません。
 それにしても「かかっただけよこせ」という論理がもはや持たないことは自明です。一方で、従来型情報システムの限界をとっくに超えて新たな機能を求めているユーザが、それだからといって青い海になだれ込んでくるとも想像しにくいのです。
 何かしらの媒介項を、たとえばSierなどの赤い海との接点無しに、青い海が成り立つということはありえないでしょう。
 ただし、青い海が赤い海の後背地であるという宿命の淵を超え出る展望が無いわけではありません。数は少なくとも先進ユーザと直結する青い海も存在しています。
 この処女地的な青い海が、規範としての反人月的評価法を最速に生み出せるかもしれないというこれまた甘い仮説をもって、「えぐりだし」を終わります。
 
 ご意見やご批判、おまちします。

KAIから東條会長へのメール

東條さん、コメントいただき恐縮です。さっそく議論に入らせていただきます。

まず発見レベルのイノベーションですが、これを私は、物理学の、特に量子論と言う科学史にその範を見るべきではと考えます。

どう言うことかといいますと、量子論における科学史は後述させていただきますが、科学史においては理論的飛躍と実験的飛躍を交互に繰り返していくと言うことです。東條さんが言われる発見的イノベーションとは、この理論的イノベーションを指されているかと考えます。

ここで私は、これを実験的イノベーションこそ今求められていると、実は、主張するつもりはありません。

仰るとおり、発見的イノベーションであり、理論的イノベーションの必要性を切に感じています。しかも、おぼろげながら、このスガタなるものを捉えつつあります。

それは地球規模での、一つのアプリケーションのための、OSの開発であり、インターフェイスの開発です。これを(アプリケーションレベルの)トロンでは失敗しましたが、あらためてわれわれがやるべき使命と考えます。

冒頭の量子論の科学史になぞらえれば、地球規模のOS、地球規模のインターフェイスと言う、理論的アプリケーション量子化概念の提出です。これにはわたし自身、心躍るアイデアが山のようにあります。

いかがでしょう、われわれの出番は、まさにここにあるのではないでしょうか。東條さんは、日本と言う閉ざされた世界で、商用ISPの草分けの東京インターネットを設立され、ISDNに固執したNTTにさからって、これまた日本初の商用ADSLサービス、東京メタリックを設立されました。

わたしは、世界で初めての、東京ワンアプリケーション、と言うあらたなるイノベーションを提案したいと思います。