ドラゴン桜に見るオープンモデルの本質−−酔考編

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またアシタとか目が覚めたらとか書いて、続きを書いたためしがないのは、すでにご存知の通りです。だいたいこれを書くのがバーのカウンターの上で、マティーニ2杯のいい調子で、そのときはすばらしいアイデアと思って公開します。ところが翌朝3時前後に目が覚めて、読み返しても、そこにはもう新鮮さもなく、昨晩のようなアイデアがひらめきません。

そうなると、しばらくそのアイデアは塩漬けにされ、誰かの、これを引き上げるようなうまい話題に出会わない限り、ずっとそのままです。

な、なんて、なんて長ーい言い訳^^;を書きながら、はてさてこのテーマでわたくしは何を言いたかったのだろうと、ひとしきり思い出そうとしています。

さて、すでに3杯目であるジンリキーに入っていますが、やっと昨晩と同じ(近い)ステイタスになって思い出しました^^。

競争社会、受験社会、これが、企業社会、ビジネスモデルと齟齬をきたし始めていることの問題です。

ドラゴン桜に見る、競争社会のものさし固定化ロジックとは、モデルの固定化です。当然モデルを固定化することで、競争社会、受験社会は、勝ち抜くことが可能です。しかし、真のオープンモデルとは、このモデル自体の固定化を拒否するモデル、すなわち、自己否定こそオープンモデルの本質であるわけです。

今、あらゆるビジネスモデルが、筆者は、破綻していると考えています。ロングテールさえ通用していません。それはウチダ氏ではないけれど、予知もできなければリモートコントロールもできないからです。

Googleがなぜ成功したか、いえ、いまだにGoogleの成功を肯定さえできない評論家を含めて経済学者がいますが、彼らはこれが固定化したモデルに基づくものではないことに、いまだ気付きません。つまりすべての経済学者は歴史学者になるべきです。

弘中平祐が日本人ではじめての、数学のノーベル賞であるフィールズ賞をとったときの論文が多様体の特異点の解消ですが、これを彼はNHKの番組で、2台のジェットコースターの衝突問題と言いました。これはすなわち上原ひろみのライナーノートであるし、イチローのファンサービスであるわけです。

ただ一つのモデルで世の中が回っているのではないよ。いくつものモデルが同時に回っていて、モデル自体が虹のように折り重なっている様を本来の、“オープンモデル”の本質なんだよ。この続きは翌朝^^; KAI