日経ソリューションビジネスの今週号が届いて、驚いた。ページ数が78頁しかないのもそうだけれど、広告出稿が6社しかない。と言うことで、今回は、日経ソリューションビジネスもそろそろお終いに、と言う話しではありません^^;。広告企業であるソフトウェア業界、その中のSIerと言われる業界の問題についてです。
本題の前に、ビジネスモデルを数式で表現することについて、簡単に説明します。ビジネスモデルのような世の中の社会現象を説明するのに、数式を使うのはなぜかと言うと、議論を数学モデルで記述することで、その議論の曖昧さを除去するためです。但し、当然この数学モデルを適用する方法を間違うと、見かけ上問題ない議論でも、まったく虚構の議論を展開するハメになります。
で、数式です。
PQ=VQ+M
M=F+G
ここで、P:売上単価、Q:売上数量、V:変動費単価、PQ:売上、VQ:変動費、M:付加価値、F:固定費、G:利益です。この数式を使うと、例えば損益分岐点を求める式も、簡単に導くことができます。損益分岐点とはG=0、つまり、利益がゼロとなる売上数量ですから、
PQ=VQ+F+G
↓
PQ=VQ+F
↓
Q=F/(P−V)
となります。ここで言うQは、売上数量ですから、当然数量の単位を持ちます。デルであればパソコンやサーバーを何台売ったかと言う、この台数が数量単位になります。
さて、この数式をソフトウェア業界に適用するとどうなるか。驚くなかれ、ソフトウェア業界ではいまだにこの数量単位に人の頭数をあらわす「人月」を使用しています。人月というのは港湾労働者が1日いくらで働く「人日」単位と同じです。これがソフトウェア業界の諸悪の根元で、これを廃止することがソフトウェア業界の「変革」につながるのですが、このことは最後に述べます。
まずなぜ「人月」なのか、簡単に説明します。その昔、ソフトウェアはハードウェアのおまけでした。おまけと言うことは、先ほどの数式で言うところのPQ=0と言うことです。一方で、費用は発生しますから、ハードウェアメーカーの購買担当者はプログラマを派遣で受け入れました。かくして変動費であるVQのQが人月になって、プログラマの派遣会社であったCSKなどが、メーカーの購買担当者の指示に従って作った見積もりのPQのQが、人月になったと言うことです。
途中、画面単価(画面数)とかステップ単価(ステップ数)とか、さまざまな人月単価を廃止する努力が続けられましたが、最後にしぶとく残ったのが、この人月さま様であります。
人月の、何が問題なのか。
一番の問題は、若い人が集まらないことです。まず就職人気ランキングにのることはありえません。なぜか。簡単です。若い人から見て「ソフトウェア業界は派遣業界」と言う定説^^;が定着してしまっていることです。しかも企業の採用担当者も、これに同意せざるを得ません。理由は、実態を知っている、すでに入社した先輩の証言に逆らえないからです。人が集まらないと言うことは、間違って入社した若者のモチベーションもないってことです。
一体いつまでこんなウソを続けるのでしょうか、え、経営者の皆さん。公団内田と同じことをいつまで続けるつもりですか。
ビジネスモデルの問題に戻ると、現状PQのQが人月である見積もりを出し続けていることの問題の意味を説明します。見積もりを出すと言う行為は、お金を出す側からすれば、取引する「モノ」の値段を決める行為以外何者でもないのです。つまり人月とは発注者も受注者も、ヒトを取引するモノとして扱っているのです。ところが実際はRFPだの上流設計だのえらそうなことを言う。まさに三島由紀夫のリアリティの喪失そのものです。
なんとかしましょうよ。変えましょうよ。と言うことで私たちは、いままで努力してきました。そしてたどり着いた結論はソフトウェア業界が目指すべき方向とは、人月単価ではなく月額利用料と言う、根本の発想の転換です。
原子力発電所を作るビジネスモデルには言及しません。普通のアプリケーションはすべてこの月額利用料と言う、オンデマンドビジネス、ASPサービスへ、時代の流れを大きく転換しましょう、と言う提案です。私たちは、すでにこれを、4年間ですが、実証しています。 KAI
志田糺
人月単価廃止は、古くて、新たな視点です。
その矛盾が、何故続くのか、解明が必要です。理由は簡単です。日本には、土建業、もしくは、人貸文化が幾千年も続いたからです。
農業は、知恵文化です。それでも、土地成金が、その知恵を人日で買います。田植えで、誰が沢山飢えるかは明確です。しかし、人月単価は同じです。大企業制生産が起きても同じ結果です。情報産業が起きても、変わりません。こう書かれた本人こそ、人月単価で、やってこられたのではないでしょうか。生きるためには、金を稼ぐためには、それを拒絶する理由はないようです。問題は、文化論です。政治論です。本当に、文化、政治を変えたいのならば、私情を越えて、現在の政治、文化と闘うべきです。その覚悟がない中での、文化論は、所詮は、現在の文化の補完です。補完であることを自覚できない程、補完的役割を果たす人々は多く居て、マスメディアを含めての最大の癌細胞です。
結論します。
人月単価は、日本の文化です。
それを破るには、ソフトウェア(IT)から入るのが良いかどうかの戦略が必要です。私は、ソフトウェア業界におります。その大変さが分かります。逆に、そこでの、人月単価解体は、戦略だと思います。だから、そのために、仲間といえども、この形態に甘んじるソフトウェア企業を許せない。今の貴方は、どうですか。
KAI
志田糺さん、コメントありがとうございます。
ここに、私たちの会社を設立して以来の、毎年の見積書のファイルが16冊あります。幸い、この中にある1千件以上の見積書のどの1枚にも人月と言う文言は存在しません。このあたりは次回本文で触れたいと思っていますが、経営者が決断してやれば、いつでもできる類の問題だと思っています。ただそれをするだけの知恵と勇気がないだけです。