ソフトウェアの上流、下流論の本質

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このところなぜか(これもシンクロニシティ!)、アプリケーションの設計図である仕様書について、いくつかのBlogやICT系ニュースサイトで取り上げられています。筆者は、そのいずれの論とも異にする考えを持っていて、現在、これを実際のビジネスに適用できています。

はっきり言って、ソフトウェアの上流、下流概念の問題は、ハードウェアの設計概念が、この詳細な意味の検討もなくソフトウェアの世界に導入され、以降誰も考えないという、まさにバカの壁型社会問題だと、筆者が位置づける問題です。

現在世の中の論の中で、筆者の考えに一番近い(ですが、東京と大阪ぐらい離れていますが)考えが、ソースコードこそ仕様書である、と言うものです。

これは、50階建のビルの設計行為そのものを考えれば自明なのですが、施工設計を含めて、施工段階と言うその場で現場の人間が設計行為をするわけありません。すべて事前の設計に基づいて施工が行われます。

ハードウェアはそうですが、よく考えてください。ソフトウェアにクレーンが必要ですか(フレームワーク的クレーンはありえますが^^;)。つまり、50階建のビルは、工事が始まった時には、すでに立派に、ソフトウェア的には目の前に50階建のビルが建っていなければいけないってことです。

つまり、ソフトウェアには上流と言う概念しかなく、下流と言う概念は実は、上流概念の詳細化に過ぎないと言うことです。

残念ながら言語仕様含めて、この概念に、あらゆる状況が追いついていませんが、恐らく2050年頃、筆者の孫(ひ孫だとかなしい^^;)が活躍する時代では、筆者が考えるとおりの世界が展開されているのは間違いありません。 KAI