大和心と漢心

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Blogの中でシンクロニシティと言う量子化現象が起きていることを、今、正に実感しました。

へべれけ大王さんのBlogエントリーに心が震えました。

この感覚を、今にわかには言語化できないけれど、なんか不思議な感覚に襲われています。この私のBlogで続けてきた議論のミラーシステムとしてか、そうでないのか、言葉にできない大きな意味を感じています。

ただそれでは仕方がないので、一部ですが、忘れないように言語化することにします。

へべれけ大王さんのエントリーからの引用です。

 さて、ここで、学問をする馬鹿について考察してみる。そもそも、なぜ、『大和』心なんぞと、ワザワザ『大和』を付けなくてはならなかったのか。これは簡単なこと。大和に対置する概念があったからだ。つまり、それが漢心(からごころ)。漢文やら漢学に身をやつし、人間が本来持っている心を消耗しきった学者馬鹿がそこに蔓延っていたからこそ。で、この学者は全て男だったのである。女は漢文や漢学に身をやつす必要などなかったというワケなのである。

もうこれだけで十分なのですが、追加すると、これは見事な視点の転換です。つまり実空間から複素空間への視点の転換です。漢心と言う実空間では見えなかったものが、大和心と言う虚空間に立ってみれば、感覚的にXYの関係性を一目で見ることができるようになる。

いやはやそう言うことだったのか。しばらく興奮が収まりそうにありません。 KAI