自己組織化するアプリケーション(第2部)(9)

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「バグ・ゼロ」幻想

日経ビジネスに久しぶりに面白い記事が載っていました。(2005.4.25-5.2、p.44)

 ではソフト大国インドから見た日本のソフト産業の実力はどうか。東芝とC-DAC(引用者注:インド政府系のIT教育機関)の仲介をしたベンチャー企業、ソフトブリッジ・ソリューションズ(東京都千代田区)のインド人社長、ブラシャント・ジェイン氏は「日本は不思議なソフト大国」と話す。

(中略)

 もう1つ「日本のソフト産業の成長を阻害している因習がある」とジェイン氏は言う。「バグ・ゼロ」の幻想だ。

 「メード・イン・ジャパンは壊れない」。日本製品の品質神話を支えたのは、「不良品ゼロ」を追求するメーカーの執念だった。この常識がソフトの世界では通用しないというのだ。

 数百万から1000万行という膨大なソフトでは「バグは絶対出さない」と言う人がいたら「その人は嘘つきだ」とジェイン氏は言う。多少のバグは覚悟しないと革新的なソフトは作れないからだ。

 斬新なソフトがもたらす価値とバグのリスクを勘案し、価値が勝る時にはリスクを取る。これが米欧のソフト業界の常識だ。バグ・ゼロの無菌室を目指すのではなく、致命的な部分でバグを出さない工夫や、バグが発生した時の対処方法に力を注ぐ。バグと折り合い、コントロールする考え方だ。

最近のエントリーで書きましたが、

「人間は間違える動物である」

ハードウェアは必ず壊れるし、ソフトウェアは必ずバグがあると言うことです。人々はマイクロソフトを非難しますが、マックの爆弾マークは非難しません。これはバグの数と製品への信頼感が無関係であることの証拠です。つまり、すべて、バグがあります。

こう言う人間である技術者が作るソフトウェアと、ユーザーである人間がどうすれば共生関係を構築できるのか、敵対関係ではなく共生関係を構築できるのか、私の大きな夢でもあります。

と言う内容の通りです。

やっと、ソフトウェアエンジニアリングと言う「工学的」特性に対する社会的認知の端緒が見え始めたかなと言う感じです。これは車社会を考えれば全く持って簡単な話です。いくら教習しても事故は起こります。加えて車自体が欠陥によるリコールを重ねていると言う事実を見れば、パーフェクトなどと言う技術は存在しません。

ただ、こう言う状況であっても救われるのは、前掲記事にもある通りOTA(Over-the-air)です。これは本番後に不具合を修正して対策するための技術ですが、残念なのはこの技術がその場しのぎの技術だと思われていることです。

まったく話が別になりますが、物理学の世界で朝永振一郎のノーベル賞受賞が示唆的です。彼は、繰り込み理論によってノーベル賞を受賞しましたが、この繰り込みと言う手法は、当初はただ辻褄合わせの方法と言う評価でしかありませんでした。ところが、この繰り込みこそ結果的に量子状態の自己組織化構造を説明することになります。

OTAとは、この繰り込みと同じ手法であると筆者は考えています。

なかなかこの啓蒙活動には苦労していますが、少しずつ社会的認知を得つつあるのではないでしょうか。 KAI