これも論理構造(ゲージ構造)のレトリックの罠に引っかかっている典型です。
不確定性原理とは、二つの物理量の間のトレードオフの原理ですが、よくよく考えてみれば全く次元の異なる(一見同次元に見える)物理量を、「観念的同時性」と言う概念で評価することにより、一方の物理量の決定ともう一方の物理量の決定があたかも共存できないかの原理です。
しかし、考えてみれば、次元の違い=観念的同時性と言う恒等式こそ疑うべきであるのです。
つまり、不確定であるのは物理構造ではなく、今われわれが採用しているゲージ構造であって、当の物理構造自体は、初めも終わりも、全くの連続性が保証されていると考えます。
この連続性について、不連続の概念を明確にしたのが広中平祐です。広中平祐のフィールズ賞受賞論文である多様体の特異点解消のアイデアはシンプルです。不連続を始めとした特異点は、それが存在する世界の次元を、適当なレベルに上げることで特異点を消すことができることを証明しました。
これはまるでストリングセオリーそのものではありませんか。
実は不確定性原理とは、物理法則の原理ではなく、概念法則の原理であって、全く異なる概念定理を選択する余地があると言うことです。
これと同じ流れで、C(光速)=C(定数)と言う恒等式も、恒等式ではないと言うのが明らかになりつつあります。これを証明するのは光ジャイロなのですが、なかなかこの光ジャイロの原理を世の中の人に理解していただけません(全く広報して(論文に書いて)いませんが(笑))。 KAI
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