自己組織化するアプリケーション(5)

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「情報の哲学」としての自己組織化(2)

本来のテーマから多少ずれますが、情報哲学について議論を続けます。

丁度良いタイミングでCNETに、梅田さんのエントリー「高速道路を避けて生きることは可能か」が上がっています。

さて、さまざまな反応を読んで、「皆どれも、僕の反応とは違うなぁ」と思った。何かを読んでの反応というのは、その人自身を映す鏡のようなものである。だから、なぜ僕の反応は違うのだろう、といろいろと考えさせられた。

高速道路が敷かれている世界といない世界

それでよくわかったのは、「自分が進もうとしている世界に、もう高速道路が敷かれているのかいないのか」ということを僕は常に考えてきた、そして、「高速道路」が敷かれてしまっている世界を避けて、まだ「高速道路」が敷かれていない世界をいつも選んで歩いてきたのだなぁ、ということだった。

将棋の羽生さんが言っている「高速道路」と言う言葉についての、読者と梅田氏自身の反応の違いについてのコメントですが、まさにこれが、記号情報による意味解釈の問題を端的に表す事例となっています。

従来であれば、意味解釈はまるで一方通行でした。受け取る側が勝手に解釈していたし、発信側にとって受信側でどう解釈されているか知る方法はありませんでした。ましてやその解釈を制御するなど論外であったわけです。

それがBlogのトラックバックと言う仕掛けによって、どう解釈されたのか知ることができるようになったのです。そしてその感想を、こうやってエントリーに記述する。またそれを読んだ読者がBlogに記述する。こう言った意味解釈の相互のやりとりと言う波動が共鳴しながら伝播して行く様は、電磁波の伝播現象と酷似しています。

しかし、残念ながら、このトラックバックの仕掛けでは不十分です。もっともっと自然に逆リンクできる仕掛けが必要です。つまり、今の仕掛けでは逆リンクが任意です。これを自然なリンク関係が確立する方法こそ、情報哲学の「要」となるのです。

それが何か、以下次回です。 KAI