ウェブトップの考え方との違い
前回の最後で、
こう言った仕様の部分は、W3C等の標準化で実現されていくのではなく、新OSレイヤーとしての機能を持つブラウザが、必ず近いうちにどこかのベンダーから供給され、それがデファクトに
なって普及していくというシナリオを考えています。
と書きましたが、私なりにもう少し技術的に詳細な検討を続けます。
さて、前回のような書き方をすると、Java陣営から『そんなこととっくの昔にウェブトップの概念で説明している』と反撃を喰らいそうです。
しかし私の言う「新OSレイヤー」と「ウェブトップ」の概念は似ていて全く非なるものです。
前回からの引用ですが、
その昔、DOSと呼ばれるOSがありましたが、このDOSの「D」はDISKの頭文字です。DOSが現れるまではBASICと言う言語が直接DISK(ディスク装置)の入出力を司っていましたが、DOSの登場で入出力はOSと言うレイヤーが分担するようになりました。
インターネットを、ここで言うDISKと見なすと、BASICに相当するのがHTMLと言う言語をインタープ
リットする、今あるブラウザと言うアナロジーが成り立ちます。このアナロジーから以下のようなことが言えるのではないかと考えています。
このアナロジーをそのまま使うと、ウェブトップの概念は単に初期のBASICが単にJavaに変わっただけと見えます。
この意味を説明しましょう。
例えば業務アプリケーションにおいてキーボードだけでの入力業務は必須かつ業務の中心ですが、これをWebで構築することを考えた途端、たちまち行き詰まってしまいます。JavaScriptで構築しようとしたことがある人は泣いたはずですが、Javaアプレットに至っては遅くて使い物になりません。
なぜか。Javaでは、本来OSが分担すべき入出力の部分が、依然としてコンポーネントと称するアプリケーション側にあるからです。WindowsのアプリケーションがAPIと呼ぶOS機能とのインターフェイスを介して入出力を行うのと比較すれば、その性能の差は歴然です。
こう言ったことを検討していくと、様々な形でブラウザの未来形が見えてくる、と言うのが今回のエントリーのメインテーマです。 KAI
うしごめたろう
このブラウザ再考の記事の意味がなんとなく解ってきました。想像力がかきたてられ非常に面白いです。本当にそういう方向に向かっていくのでしょうか。