サーチエンジンは21世紀の文化の担い手(その3)

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今回は、前々回のエントリーの続きです。

こうした中で、今まで新聞が担っていた「編集」と言う価値創造機能の役割が、今やサーチエンジンへ移ると言う大きなパラダイムの転換が起きようとしているのではないかと言うのが本稿の結論です。以下次回以降にこの仮説を検証していきたいと思います。

果たしてこのパラダイムの転換と言う考え方は成立するのかどうか、概ね以下の四つの項目を考える必要があります。

■新聞もサーチエンジンも最終的に対象とする情報は同じか
■サーチエンジンは名前どおり「検索」であって「編集」ではないのではないか
■自動編集はいかに形式的に同じことをやっているからと言って通常の編集と同等に扱えるものかどうか
■新聞の役割に取って代わると言えるのかどうか

先頭のテーマは次回以降に廻して2番目から。

サーチエンジンは名前どおり「検索」であって「編集」ではないのではないか

この問いはそのまま、それでは「編集」って何かと言う問いになります。そしてその答えは前々回の、

編集とは何か

新聞における編集は、カテゴリー毎の編集者が記者から送られてきた記事の、その内容の重要度によるカテゴリー内の順位付けを行う作業です。この重要度の判断に、これを行う人間の価値観が介在することになります。順位付けの結果は、合格判定と同じく、掲載するしないの分かれ目を作ります。つまり、記者にとって自分が書いた記事が読者の目に届くためには、記事の順位を上げる必要があり、順位を上げるためには、順位を決めるカテゴリー毎の編集者の価値観にそった内容である必要があります。ここで編集者の規制が働く仕掛けになると言うことです。

この記述の通り、「編集」作業の要は「重要度によるカテゴリー内の順位付け」です。この順位付けの結果、新聞紙面と言う枠の中での記事割りと言う編集の二次作業が行われます。併せて、記事の重要度に見合う見出しと要約が付加されます。

この「編集」作業を、人間がやるか機械でやるか、カテゴリーがあるかないかの違いだけで、サーチエンジンでも全く同じことが行われます。一見、サーチエンジンにおける検索の比重は大きく見えます。しかし実際は、検索した結果の膨大なデータをいかに表示するかと言ういわゆる「編集」機能の役割の方がより重要となって、編集機能こそ付加価値を持つ部分と言えるのです。

自動編集はいかに形式的に同じことをやっているからと言って通常の編集と同等に扱えるものかどうか

これは質的な問題ではないかと考えます。確かに現在のGoogleのような方法では、リンクの多いBlogにダミーのトラックバックを仕掛けることで論理上いくらでも順位を上位に持っていくことが可能です。しかしこれは、本来の意味のあるリンクを識別する能力を持たせることでやがて解決するもので、本質的な問題ではありません。

むしろ問題は、AIのように果たして人間としての編集者の価値観と、同等あるいはそれに近い形で記事の重要性について指標化が可能なのかどうかです。私は、これは現在の技術でも可能だと考えています。具体的にはシソーラスの技術とパーソナライゼーションの技術の応用になります。クローリングで集めた全ての記事内容をシソーラス化します。この中からサンプリングした記事について実際の編集者による評価付けを行います。つまりシソーラスを使用して、編集者と言う個人に対するパーソナライゼーションを行うと言うアイデアです。これで導いた指標を仮に[モード指標]と呼びます。しかしこのモード指標だけではかなり偏りが出るはずです。そこで先のGoogleのグーグルランクの指標を併用します。グーグルランクを仮に[コード指標]と呼びます。編集者は、この二つの指標の比率を設定できるようにすることで、より現実的な編集が可能になると言う考え方です。

実はこの方法は懸案であったカテゴリー別の評価も自動化できてしまいます。シソーラスの上位のネットワークにカテゴリーを挿入するだけで済んでしまうからです。

こうしてみると、人間が行う編集に近いレベルで自動編集が可能であると言っても間違いないと思います。

新聞の役割に取って代わると言えるのかどうか

そもそも新聞の役割とは何か。メディア論ではこれを報道、論評、教育、娯楽、広告の5つの機能で説明されますが、むしろもっと大きな立場から考えると、マスメディアとしての機能です。つまりこの問いは、サーチエンジンはマスメディアであるのか、しかも新聞に取って代わるのかと言う問いと同じ意味になります。

サーチエンジンがマスメディアとして機能するかどうかは、サーチエンジンをカテゴリー別に機能させると言う思考実験をしてみれば容易に答えが出るはずです。例えば政治と言うカテゴリーでは、キーワードを入れなければデフォルトで最新の政治に関する情報が上がってきます。これは契約している通信社の情報かも知れませんし、新聞社からの情報かも知れませんが、いずれにせよ、新聞の政治面を開いて得る情報と同じ(あるいはそれ以上の)内容が表示されます。しかも(ニュースと言う範囲を絞ったクローリングが必要ですが)最新の情報を新聞以上にリアルタイムに流すことができます。

すなわちこれはサーチエンジンがマスメディアになりうると言うことです。

しかも機能は多彩です。新聞を初めとしたマスメディアの情報は基本はpush型ですが、これがサーチエンジンで可能であることがわかりました。サーチエンジンはもともとpull型ですから、サーチエンジンというマスメディアは、push型とpull型を両方併せ持つメディアと言うことになります。

今でも新聞社が運営するWebサイトは同様の機能を実現しているかのように見えますが、pull型で引き出せる情報量と質の違いを考えると、これはサーチエンジンで実現されるものとは雲泥の差があると言わざるを得ません。

明らかに使い勝手に違いがあるという事実を持ってすれば、やがて、人々は新聞に求めていたものをサーチエンジンに求めるようになると言うのは必然の動きではないかと考えます。

前回のエントリーで、渡辺さんの

2:メディアはこのままでいいのか?

(中略)

2:メディアは消えはしないだろうが役割を変える。情報過多になると、一次情報よりも判断とフィルタリングの価値が相対的に増す。正しい情報を伝えているだけではもはやユーザーの要望は十分には満たせない。

この問題認識に対して、

2:のメディアの問題は、メディア自身がサーチエンジンとして参入しない限り、市場はGoogleを含む新興企業の独壇場となり、著作権と同等の編集権がサーチエンジンに奪われることになります。この指摘の意味を理解できるメディアの経営者であれば、経営的に打つべき手が見えるはずです。

とコメントしたのはこう言った背景を考えていたからです。

以下次回に。 KAI