アナザーランドというもう一つの現実世界

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いつもいつも梅田さんのBlogは知を刺激して已みません。

ネット世代とPC世代を分ける「インターネットの隠れた本質」は、日頃私自身が同様のことを考えているせいか、まるで一つ一つの言葉が頭の中に染み渡るような感覚に襲われました。

キーワードは、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼(トラスト)の有無」である。ネットの向こうに存在する千万単位、億単位の見知らぬ人々(有象無象)やその知やリソースを、当たり前の存在として心から信頼できるのが「インターネット世代」、頭では仮にわかっても心からは信頼できないのが「PC世代」。というのが、最近僕が感じていることを何とか言葉にしてみた結果である。この「信頼」が存在するかしないかで、製品企画、サービス企画、技術開発の方向も皆、ずいぶん違ってくる。

この「信頼(トラスト)の有無」を私流に言わせれば「リアリティの有無」です。

「リアリティ」とは、「意味空間上の存在」の「リアリティ」のことです。

「意味空間上の存在」が分かりにくければ、これを「数字」に置き換えれば良いです。「数字」も「意味空間上の存在」の一つです。

数字のリアリティの例を考えると、例えば営業マンが約束する今月の売上という数字です。この数字のリアリティがあるとは、売上予算を達成するための裏付けがあって、間違いなく達成されるという数字の値のことです。反対にリアリティがない数字とは、単なる希望であって達成されるかどうかも分からない売上予算のことです。

そういう意味で「リアリティのある数字」を「信頼できる数字」と言い換えても同じことを言っているのが理解できると思います。

更に、売上などの数字と言うものは、過去や現在の数字について言えばこれは確定値ですので、(ダイエーなどの経営再建中の経営者にとっては一層深刻に)現実というリアリティそのものです。反対に、未来の数値は、それがずっと先の遠ければ遠い数値ほど、リアリティの反対、「夢」になってしまいます。

距離空間から言っても、月の世界の話にはリアリティはありません。このように、ある意味で時空間上の距離とリアリティというものは反比例しているようにも見えます。

ネットの向こうの世界を、私はモニターの中の、もう一つのリアルランド(現実世界)と言う意味で「アナザーランド」と呼んでいます。

この「アナザーランド」では、2050年頃にはコンピュータが生成したドクターや教師が、一見、実在するがごとくの姿でモニターに現れ、私たちは、彼らと当たり前に会話し、メディカルチェックや講義を受けることが出来るようになっています。SFのようですが、もしこれが実現したとしたら、私たちにとってモニターの中のドクターや教師の存在はリアリティそのものです。

2004年という現実の世界でも、インターネットを通してモニターの中の世界に、上記のような時空間の存在を見いだしていて、既にこの中で、起きている時間の何割か「生活」していると言えると考えているわけです。

syulenさんのインターネットを生活の場に出来るか?に出てくる「生活」と、アプローチの方法は異なるものの全く同じ意味と捉えることができます。

ひょっとすると、この「アナザーランド」の1日の滞在時間とリアリティも、正比例しているのかも知れません。 KAI