閑話求題−Blog論

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今回はKAI流Blog論です。

Blogを始めて1ヶ月以上が経ち、エントリーもそろそろ30にになります。私なりにBlogの意味を考えてみました。

この論を始める前に以下の定義を導入したいと思います。

■Blogを書くのに、考える人、考えない人、がいる。
■Blogを書くのに、相手がいる人、相手がいない(相手を意識しない)人、がいる。

この二つの条件の組み合わせで、Blogを書く人に以下の4種類のパターンが存在することになります。

■A型・・・考える人+相手がいる
■B型・・・考えない人+相手がいない
■O型・・・考えない人+相手がいる
■AB型・・・考える人+相手がいない

Blogは日記ではない

よくBlogを日記に例える人がいますが、これは間違っています。Blogが日記と考えるのは、相手がいないB型ないしAB型ですが、公開しているのがBlogですからこれは自己矛盾です。しかしB型にしろAB型にしろ、本人にすれば、相手のことを意識しない性格ですから、立派にBlogが日記になるというのも肯けます。

むしろ、今回痛切に感じるのはA型である私自身の問題です。この1ヶ月あまりの間の体験は、若かりしころの論文書きと非常に似た心境であったと言うことです。中身自体はずっとBlogの方が軽いのですが、気持ちの問題としては同じです。通常、論文というものは査読してくれる人がいなければ成り立たない文章です。雑誌なり出版系であれば編集者です。これを不特定多数の読者にゆだねるというのはネット世代とPC世代を分ける「インターネットの隠れた本質」に書かれている「ネットの向こうの不特定膨大多数への信頼」以外の何者でもないと思います。

これが久しぶりに知の体験として、毎日毎日の記述自体が非常に刺激的で、かつ新鮮でした。

CNETの記事一つを取っても、これをBlogのテーマとして考えると、様々な展開があって、ニュースの背景がいろいろと見えて来るのも驚きです。

トラックバックの威力

更にBlogはこれだけではありません。自分がトラックバックしたBlogの、別の人からのトラックバックやコメントを読んで、これまた新たな刺激があります。

Blogにおけるトラックバックは、エントリーに対するコメントのような主従の関係と違って、対等の関係で議論が出来ます。しかも、お互いのBlogを読めばその人のコンテキストが理解できます。コメントではそうは行きません。このトラックバックという仕掛けを持ったBlogの構造が、ネットワーク型の、組織、人間関係、社会と言ったものを初めとして、知的ネットワークの構造まで、まるでぴったし一致する。

この感覚こそ、Blogというものの本質を捉えているのではないかという結論です。 KAI